リスクマネジメントのイロハ

■ リスクマネジメントのイロハ Part ④

「リスクの保有」

リスクの低減や回避、移転などは説明できても、「リスクの保有」を理解してもらうことは容易ではない。大げさにいえば「価値観の転換」を要求することになる。

リスクマネジメントも基本的には「トップダウン」のシステムであるから、企業のトップマネジメント、すなわち代表取締役や取締役に、この価値の転換をまず求めることから、リスクマネジメントシステムの導入がはじまる。

リスクに対する感受性は、トップが高く現場は低いとは限らないし、逆に現場がすべて現場のリスクに敏感とも限らない。逆説的に聞こえるかもしれないが、リスクに敏感な人(安全に責任の持てる人)ほど「リスクの保有」の意味は理解しやすい。連載のはじめにも述べたように、「臭いものにはふた(蓋)」の習慣はリスクの存在を「忘れたい」という願望であって、「リスクの保有」とは全く関係がないのである。

いいかえれば、「リスクの保有」は責任感とある意味で「勇気」がいる行動であり(すぐにはそのリスク要因には何も対処しないという勇気と責任と信頼)、組織や地域社会は人が運営するというあたりまえだが忘れられがちなことを、今一度自分にも他人にも確認しあうことが必要になる。

わかりやすい例をあげてみる。95年の阪神大震災のとき、一人暮らしの老人が倒壊した家のがれきの中から、近所の人たちのすばやい行動で助け出されたという報告がいくつかあった。隣人たちは、普段からこの老人がどの部屋で一人で寝ているかを知っていたから(リスクの保有)、老人ホームに追いやらずとも(リスクの回避)、またこの場合はもっとも人道的でも合理的でもない「生命保険」に依存せずとも(リスク移転)、もっとも人間的なかたちでコミュニティの底力を発揮することができたのである。

この場合の「リスクの低減」措置は、ハード面では老人の住む家に耐震補強をするということや、ソフト面では親戚が同居する、近所で避難訓練を行うということになるが、いずれも実現可能性は低く(費用対効果も低く)、リスク保有によっても十分効果的な緊急時対応ができたという例である。

■ リスクマネジメントのイロハ Part ③

「変化への責任の所在」 

責任の所在が明確でなく、変化に鈍感な「リスクマネジメント」は失敗する。この「あたりまえ」と思われることが、意外に認識されていない。

第一の理由。担当者にリスクマネジメントが丸投げされている。

まず、なにが緊急時なのか?どのような状態で緊急時に入り、どのような状態で緊急時から脱するのか?これは、トップマネジメントの専決事項だ。たとえば、火災といっても常に火を扱っているような場合(アセチレンガスやプロパンガスで鉄などを切断するような作業)、周囲のものに火がついたからといって、直ちに緊急時とはいえない。
出火によるリスクが事前に意識されていれば、消火バケツを近くに常備することで、消火作業は一人でも可能だ。非通常時になってもすぐ、通常時の状態にもどすことは現場判断でできる。一方、「○○システム担当者」というのは、一人歩きしてしまうと実は厄介な存在で、現場責任でもトップマネジメントでもなく、リスク評価の数字いじりはできても、現場や経営の知恵と責任が欠如している場合が多い。

第二の理由。日常の業務にリスクマネジメントがビルトインされていない。

従来やっていた「KY=危険予知活動」の有効性を見直すことをせずに、「リスクマネジメント」という流行を追っても、効果は期待できない。最近流行りの「CSR(企業の社会的責任)」も、企業理念(本来の「環境方針」や「品質方針」)や、既存の三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)の要素を見直し、深めることをせずには決して定着しないのと同じだ。

第三の理由。変化への対応ができていない。

「リスク」は、固定的なものではない。まず、企業の業務プロセスは常に改善され、プロセスそのものの枠組みが変わる場合もあり、時には業種さえ変わる。また、経済社会の変化。たとえば資源価格は日常的に激変する。市場の変化、顧客要求の変化、法や条例規制の変化など、日々新たなリスクが生まれる。経営環境の変化の先取りと対応が役割のトップマネジメントと、市場の変化に対面し体で実感している「現場マネジメント」が日常的に関与していない「リスクマネジメント」は無力である。

リスクマネジメントとは、動態で責任の所在を明らかにし続けることである。


■ リスクマネジメントのイロハ Part ②

「安全こそリスクである、という逆説」

「危険」や「安全」は、ある状況をさしていいます。現代社会において経済活動の主体である企業の「絶対的な安全」はありえません。あるのは「今安全な状態である」ということです。安全な状態を未来においても希求したければ、解決すべき「リスク」を認識し、対処することが求められます(或いは「対処しない」、つまり静観する=「リスクの保有」という決定が求められます)。「危機」は予知不能で、何の前触れもなくやってくる状態のことであり、「危機」は受け止めざるを得えません。一方、「危機」は予知されたとたん、それは「リスク」として認識され、リスクへの対処が問われ、何らかの意思決定が求められます。

たとえば、交通事故それ自体は「危険」でありますが、交通安全が意識された瞬間、その危険は「リスク」に転じます。リスクマネジメントが「安全な状態」を生むのではなく、安全な状態の意識化が危険を「リスク」転じ、マネジメントを可能にします。つまり、リスクマネジメントとは、多くの人に信じられているような「危険でない状態をつくる活動」や「安全を保証する活動」ではありません(それらは、いわゆる「安全運動」や「安全教育」と呼ばれてきましたが、期待した効果がない場合が多かった)。

逆にリスクマネジメントは、「危険な状態」を想定して考え抜き、その状態の中で起こりうる様々なリスク要因を発見し、分析・評価し(リスク=発生の可能性×結果の重大性)、論理的に対応を決定し(リスクを回避・リスク移転・リスク低減・リスク保有)、実施し、その効果を認識し、もう一度見直しを行っていく(PDCA)意識的な活動です(「安全な状態」は、結果としてある条件下でもたらされるに過ぎません)。

別の角度から言えば、無意識や無責任で「リスクの保有」は決してできないと言うことです。(「臭いものにはフタ」式にリスク回避やリスク保有を考えている人は、「リスクとは危険を冒すこと」という発想です。「リスクをとる」とは、冒険することではなく「許容されるリスクの範囲内での選択」を意思決定する「責任行動」のことです。「何もしないリスク」も忘れてはなりません。

前回にも触れましたように、安全意識なきところでは「危険」も意識されず、内発的なリスクマネジメントの意思(意思決定の責任性)は生れません。「安全」がひとたび意識された瞬間、危険が「危険」から「リスク」へと転じ、人間の意識活動によってコントロールされるようになるのです。

■ リスクマネジメントのイロハ Part ①

「日本社会には危機管理能力が決定的に欠けているのではないか?」

この問いは、1995年に起こった三つの事件の経験から生まれました。14年前の今日発生した阪神淡路大震災、多くの犠牲者や未だ後遺症に悩まされている被害者が発生した地下鉄サリン事件、ずさんな経営による銀行倒産。日本社会の「安全神話」が崩壊したこの年を境に、6年をかけて日本のリスクマネジメントの専門家が知恵を集め、2001年には「リスクマネジメントシステム構築のための指針」(JISQ2001)」が開発・発行されました。

この規格は、社会的要請と経済的ニーズとのバランスをとって個々の組織(企業・自治体など)及び社会全体をリスクに適切に対応できるようにしていく(いいかえれば日本社会に危機管理能力をつける)というミッション(社会的使命)を掲げながらも、発行後ほとんど活用されていません。

直接的な原因は、ISOのような「認証規格」ではないことによります。また日本で既に2万事業所以上が認証取得しているISO14001(環境マネジメントシステム)には、リスクマネジメントプロセスが組み込まれていますが、「環境側面」「緊急時への準備及び対応」「コミニュケーション」など、そのように教育・運用されていない場合がほとんどです。

この連載では、「リスクとは何か?」「何のためにリスクマネジメントするか?」というイロハから考えて、企業経営に役立つ「リスクマネジメントの勘どころ」をお伝えします。

「臭いものにはフタ」はリスクを極大化する。~先ずはリスクを直視せよ~

一昨年から、労働安全衛生法に基づく「職長教育」のカリキュラムに「リスクアセスメント」が加えられました。

建設現場ではおなじみの「KY(危険予知)活動」も、リスクアセスメントプロセス(分析・評価)を含みます。昔からすぐれた職人は後ろにも目がついている」と言われてきました。現場に立てば、瞬時にリスクを分析・特定し、評価を行う、役割に応じた的確な指示を出します。

KYであろうとアセスであろうと「KY報告書を出せと言われているから」「アセスに時間がかかって指示を出す間がなかった」では話になりません。朝礼前の雑談での話しぶりや顔色から健康判断や精神状態を判断せずに、適正な人員配置や役割分担はできません。

時には予定任務から外す、場合によっては現場から排除するといった決断も求められます(リスクの回避)。リスク低減措置のひとつ「安全教育」で難しいのは、本人に安全意識が無いことです。自分を護る意識のないものに、刻々を変化する状況の中でリスクの発見などは望むべくもありません。

「KYは毎日やっているし、防護具も装備した」だけでは大事故につながります。また、ベテランの場合でも工期の無理な短縮や人員の不足から、過度の労働強度による疲労やストレスが事故につながるケースが多発しております。

このようにリスクは多様で、重層的・連続的であって、対策も論理性(原因→是正処置→予防計画→効果の確認)が問われます。

はっきりしていることは、「臭いものにはフタ」「喉元すぎれば・・・」の態度はリスクを極大化し、「無意識=無責任」の方程式は重大事故の温床だということです。